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暁光

金色の風の軌跡ー番外ー


 次元のはざまに落ちたネメアを救うため、闇の門の島に向かったアウラたちを待ち受けていたシャリ。彼の目的は破壊神ウルグ復活。だが復活には強靭な器が要る。その器に、人と魔人のハーフであるネメアが選ばれたのだ。
「でももうネメアである必要はなくなっちゃった」
 そう語るシャリはアウラを器にしようと、邪魔となるアウラの魂を闇の神器で吸い取り、ウルグを降臨させようとした。しかしそれを予期していたオルファウスの機転によってアウラの魂は無事だったものの、アウラの体内にはウルグが宿り、アウラの意識は闇に捕われた――。
 内なるウルグとの戦いに打ち勝ち、アウラが目覚めたのは、それから数日後のことだった。
 アウラの傍らでずっと付き添っていたレムオンとともに、アウラがダイニングへ向かうと、ちょうどみんなが揃っていた――オルファウス、チャカ、ゼネテス、ザギヴ、ケリュネイア。一同はアウラを見るなり一斉に立ち上がった。一番近い位置にいたザギヴがまっさきにアウラを抱きしめる。
「アウラ……よかった!!」
 突然のことに驚きつつも、抱きしめ返す。彼女な様子に、心配させてしまったことに対する心苦しさと、自分はこんなにも愛されていたという嬉しさが綯い交ぜになって、何とも言えない感情がこみ上げた。
「お疲れ様でしたね、アウラ」奥に佇むオルファウスが健闘をたたえてくる。
「みんなに心配かけちゃって……」言いづらそうにアウラが切り出すと「まったくだぜ!」とすかさずチャカが言う。
「みんなどんだけ心配したと思ったんだよ! 姉ちゃんはぐーすか寝ててちっとも起きないしさぁ」
「誰がぐーすか、だ!」
 そんな姉弟のやりとりに、その場は笑いに包まれ、一瞬で和やかな空気になった。
「本当はわたしもあなたのそばで付き添っていたかったけど、彼がずっとあなたのそばを離れなかったものだから」
 妬いてしまったわ、と茶目っ気まじりにザギヴが言うので、アウラが隣に視線を向ければ、元義兄は気まずそうに視線を逸らした。
「それにしてもすごいのね、アウラは。破壊神ウルグを抑え込むなんて。これが、無限のソウルを持つ者の力なのかしら……」
 そうつぶやいて、目を伏せたザギヴ。
 彼女の体内には魔人マゴスが封印されている。マゴスの力を抑えるために、彼女はいま一時的に猫屋敷に厄介になっている。
 破壊神をその身に宿したアウラとマゴスを封じられているザギヴ――奇しくも似た状況にあった。
「無限のソウル、ね。わたしには実感ないけど、正直言って、わたしだって怖いよ。破壊神が中にいるって思ったらさ。でも……一人じゃないから。みんながいてくれるから。辛いときも苦しいときも、一緒にわかち合って、背負ったり、背負ってくれたりし合える人たちが」
 ただアウラが、目の前の運命や人生から目を逸らし、逃げ続けるだけならば、アウラを責め、非難するだけだったろう。
 しかし皆、アウラが頑張っていることを知っている。彼女が苦しみを経験し、何とか人生を切り開こうともがき、あがき、葛藤していることを理解してくれている。彼女が過ちを犯したなら諭し、落ち込んでいたなら慰め、自棄になっていたら叱咤激励してくれる仲間。他人がどれだけアウラを忌避したり、非難したとしても、自分を理解してくれる者たちがわかってくれているならそれだけで少しは救われる。
「ザギヴ、あなただって、一人じゃないよ」
 だから一人で苦しまなくていい。そう言うとザギヴは感極まったように声を震わせた。
「ありがとう……そうね。わたしは運命に立ち向かうと決めたんだもの。いつまでも逃げてばかりじゃいけないものね」
「うーん……そうかな。逃げたっていいんじゃないかな」
「えっ?」アウラのひと言にザギヴが拍子抜けした声を出す。溢れそうになった涙が引っ込むくらいの衝撃だったようだ。
「自分のこと、一人で背負い込もうとするでしょ。もっと周りを頼っていいと思う。そうさないと誰だって気力尽きちゃうよ。頼ってもいいと思える人が今までいなかったのかもしれないけど」
「でも! 逃げるのはよくないわ」
「ザギヴはちょっと頑張りすぎてない? 逃げるのが駄目って、誰が決めたの? 心も身体も元気になってまた歩き出せるようになるためなら、逃げたっていいんじゃない? ……と言いつつ、わたしもそう思ってた時期があったんだけどね。負けず嫌いだったから特にね。でもわたし、戦場で逃げたの。アイリーンから逃げた。彼女と戦いたくなかったから」
「それは……アウラのことだから、何か考えがあったんでしょ?」
「ううん、何も。ただ彼女と戦いたくなかった。傷つけたくなかった。それだけ。本当は……誰のことも傷つけたくはなかったし、自分が一番傷つきたくなかっただけなのかもしれない」
 戦場に出ておいて、それは矛盾した考えだった。それでも参戦したのは、親しくなった人たちに生きていてほしかったから。自分が関わることで、少しでも彼らの助けになり、生き延びる確率があがるのなら。
 すべての人を救うなんてことはできない。赤の他人まできが回るわけじゃない。今まで自分が関わってきた、良き人たちだけでも守ることができたなら。それだけの実力が自分にあるかはわからないが、役に立てることがあるなら力になりたい。そういう思いがあった。今思えば、守るために誰かを傷つける覚悟が足りていなかった。
「覚悟してたつもりだった。でも、全然足りてなかった。だから戦争が終わったあと、死にたくなるくらい落ち込んだし、奪ってしまった命には何をしても償えないと思った。アイリーンから逃げたことも、命を奪われた人たちからすれば、ひどいことだよね。でもそれでも、誰に非難されてもわたしはアイリーンに生きていてほしかった。だからそのことは後悔してない」
「そう……でも、わたしの場合は違うわ。誰かのためなんかじゃない。ただ自分が辛いだけだから、嫌だから逃げるなんて……そんなの許されないことよ」
「誰が許さないの?」
 えっ、とザギヴは目を瞠った。
「誰がザギヴを許さないの? あなたの周囲の人たち? ネメア? ベルゼーヴァ?」
「え、えぇ、そうよ。みんなきちんと自分の運命に立ち向かっている。アウラ、あなただって。みんな口に出さないだけで、こんな弱い私を知ったらきっと許してはくれないわ」
「どうかな……ちゃんと立ち向かえてるかどうか、自分じゃわからないけど。でもみんながそうだからって、ザギヴもそうある必要はないんじゃない? あなたの周囲の人たち……ネメアやベルゼーヴァなんて特殊だし」
「で、でも、みんな頑張ってるんだから――」
「あなただって頑張ってる。誰にも言えずに一人で悩んで苦しんで、耐えてきた。あなたの苦しみや葛藤は、ザギヴ自身にしかわからないことだけど、でもザギヴが頑張ってきたことはわかってるつもり。ザギヴを許さないのは、ザギヴ自身なんじゃない?」
 その瞬間、張り詰めていた糸が切れたように彼女の表情がぐしゃりと歪んだ。理知的で聡明な普段の姿に覆い隠された、彼女本来の一部分が垣間見れたような気がした。
「でも私は、逃げるなんて……間違ってると思う。それは弱い人間のすることよ。そんな弱い私なんて、誰も必要としない。私の存在する意味が、価値がなくなるわ。ネメア様だってベルゼーヴァ様だって、そんな人間いらないに決まってる」
「ザギヴ……」
 志の高い者たちに認められたい一心で、彼女は彼らの期待に応えようと必死だった。内面に潜む弱さから目を背け、強くあろうと虚勢を張っていた。そんな彼女に、アウラはどう言葉をかけていいかわからなかった。他人の評価など気にするなと言ったところで、そう簡単に意識を変えられるものでもないだろう。
「世の中に、本当に正しいと言えることがあるんでしょうか?」オルファウスが言った。
「物事には本来、こうでなければならないなんて決まりはありません。正しいかそうでないかの基準は人間が決めていること。法も秩序もその時代、国、人種に合わせて定められている。でも自然界にそんな理って、実はないんですよ。すべての現象はあるがままに存在している。そこに、わたしたちが何らかの理由づけをしたり、自分なりの解釈をしているにすぎない。ですから逃げてはならないなんて決まりもないんです。体裁が悪いから、卑怯だから、他人に迷惑をかけるから……時と場合にもよりますが、理由はいろいろあるでしょう。でももしあなたが物理的に、あるいは精神的にどうしようもないほど苦しさを感じている時は、どうかあなた自身のことだけを考えてあげてください。あなたの苦しみはあなた自身のものですから、他人はあなたの苦しみを理解できません。あなたを一番思いやってあげられるのは、あなたしかいないんです。あなたがどんなに優秀でも、あなたの穴を埋められないほどディンガルは人材不足でもないでしょう。それを迷惑だ、と言う人もいるかもしれません。それはその人があなたを思いどおりにしようとしているからです。自分の思いどおりにならないから人は腹を立てる。もちろん人は一人で生きているわけではありませんから、思いやりは必要でしょう。ただ、それは誰しもに言えること。誰もが自分本位で考えてしまうから争いが生まれる。そして自分と考えを同じくする人間が多いほど、その考えが正しいという風潮になる。ですがそういう法則も、自然界にはありません。誰もが相手を思いやり、許すことができれば争いはなくなるんですが、そうはいかないのが人間であり、私たちエルフやドワーフその他多くの知恵を持った生命体なんです」
「だったら尚更です。多くの人に迷惑をかけることになるなら、周りの人のためにも逃げるべきではないと思います」
 意見を曲げないザギヴにオルファウスは柔和な表情のまま言った。
「迷惑をかけない人なんて、この世には一人もいませんよ。例えば私たちが口にする作物、これを作ってくれる農家の方々には、ある意味で迷惑をかけていると言えますね」
「それは……それとこれとは」
「違いますか? ま、捉えかたしだいですけどね。私たちはいろんな方にお世話になっている。でもこれをよく思わない人にとっては〝迷惑〟になりうる。あなたが仕事を休んだことにより、他の方の仕事が増える――他の方がそれを嫌だとしか捉えられないのなら迷惑でしかないでしょうね。親切心でしたつもりが、相手にとっては迷惑だった、ということだってある。あるいは、なんでもないようなことが回り回って誰かの迷惑になることも……考えたらきりがありませんねえ。人それぞれ価値観が違いますから、気の合わない人もいるでしょう。例えばあなたのことをよく思わない人がいるとしたら、その人からすればあなたがどんな行動を取ってもよく思わないものです。人間、そう簡単に価値観は曲げられませんから。自分が正しいという思いが強い人ほどね。他人を変えることは、自分を変えるより難しい」
 オルファウスは何が正しいとも間違っているとも言わない。肯定も否定もしない。あるがままを受け止め、受け入れている。それがオルファウスの在り方だった。それは変えようがない物事に対して諦めているようにも見えるが、オルファウスは投げやりになっているわけでも、見放しているわけでもない。そこにはおそらく、相手の人格を尊重する意志がある。彼はザギヴの考えを否定しているわけではなく、かといって、こうあるべきだ、と自分の考えを押しつけようともしていない。そこに、オルファウスの思いやりが垣間見えた。彼の持論はきっとそれぞれに思うところはあるだろう。何が善で、何が悪か、白黒区別をつけたい人間ならば特に。だがアウラの心にはすとんと落ちてきた。永く生きているオルファウスだからこそ、見えている世界や真実があるのだろう。
 でも、だって――。そう反発したくなる者もいるだろう。実際ケリュネイアは釈然としない様子だし、ザギヴも未だ何か言いたげな様子で黙り込んでいる。オルファウスの持論は、ザギヴのこれまでの生き方、信じてきた価値観を根底から覆すようなものだからだ。幼いころ両親をバロルの名により殺され、自らも殺されそうになり、一命は取り留めたがマゴスという呪いをかけられたという彼女。そんな生い立ちや環境が、自他共に厳しい彼女を作り上げたのだ。
 そうして長い間ずっと気を張り詰め、他人に甘えることをよしとせずに生きてきた彼女の精神は限界だった。その隙をマゴスに突かれたのだ。
「でも父さん」とケリュネイアが声を上げた。
「人それぞれ価値観が違うんだから争いが起きて当然でしょ。誰もが相手を思いやり、許せば、って父さんは言ったけど、何でも許してたら相手はいい気になってつけあがるだけじゃないの? しまいには無秩序になってしまうわ。それこそ、事情があったとはいえ兄さんが世界に混乱をもたらしたように」
「だから人は法を作る。みなが互いに許し合うことができたならその必要はなく自然と秩序が保たれるはずです。ですがケリュネイアが言ったようにそうはならない。なぜなら我々は完全ではないからです。完全ではないから他者を受け入れられず、許せない。法とは完全ではない人間が共存するために必要なものなんです。ですがその法も、完全ではない人間が作ったものですから、完全ではないでしょう。マナーや常識といったものもまたしかり、です」
「詭弁だわ」ケリュネイアが吐き捨てるようにつぶやく。「……だったらわたしたちってなんなの? なぜ、わたしたちはみんな違うの? なぜわたしたちは生まれてくるのよ……」
 ハーフエルフに生まれ、実の親には捨てられ、差別にあってきたケリュネイアにとって、オルファウスの精神論は素直に受け入れ難い部分があるのだろう。
「より高みにいくためですよ、ケリュネイア。わたしたちはこの世でいろんな経験をし、学び、より高次の存在になるために生まれてくるんです」
 ケリュネイアは黙りこんだ。流れ始めた沈黙を破ったのはネモだった。
「フン、大したご高説だな。そういうお前だって昔は手がつけられないほどのワルだったくせによく言うぜ。誰もそんなこと考えて生きちゃいないぜ。誰もが自分の人生を生きるのに必死だからな。わかったところでハイそうですかと素直に納得できるもんでもなし」
「ふふ、あなたにとって私のイメージはいつまでも昔のままなんですねえ。いろんな経験をし、失敗や過ちを繰り返して人は成長していくものです。ですがまあ、そうですね……どれだけの失敗や過ちを繰り返しても、腐らずにすべてを受け入れるようになるのは確かに、容易なことではないでしょうね」
 ネモの嫌味にもオルファウスはあっけらかんとした様子で返す。
「さすがあのネメアのおやっさんなだけある。ネメアのあの自由奔放さはあんたの教えがあったからだな」
「自由奔放、ですか」感心と皮肉が入り混じったようなゼネテスの言葉にオルファウスは苦笑した。
「あの子は昔から物言いが簡潔でしたし、必要と判断したら自分でできる範囲のことは自分でやってしまうような子でした。ですから他人には理解されにくく、行動が突飛に映るんでしょう」
「あぁ。だが今ならわかる。あいつも自分と世界の命運を変えようと必死だったんだな」
「そのために、周囲の人たちはさぞ振り回されてしまったことでしょう。義父として謝っておきます」
 ディンガルには苦汁を舐めさせられたゼネテスだが、ネメアを自由奔放のひと言で済ませてしまうのが彼らしい。敵の親に謝られたところで、戦争で命を失った者たちを思えば、素直に受け入れられるものでもない。だがゼネテスはオルファウスを責めたところで無意味なことを知っているし、相手がネメアであってもやはり責めなかったろう――嫌味のひとつは言うかもしれないが。だがそれは失われた命を蔑ろにしているわけではない。それとはべつに、相手の事情を理解し、受け止めることができるのだ。
 アウラはそんなゼネテスの人間としての器の大きさに感心し、尊敬している。照れくさいから口にはしないけれど。
「ザギヴ、今のあなたに肩の力を抜けと言ってもなかなか難しいでしょう。ならばまずはあなたが信頼できると思う人に、甘えてみてはどうですか? 甘えるというのは悪いことではありません。本当に辛くてしかたないときは、誰かに身を預けてごらんなさい。あなたを心から理解し、愛してくれる人なら迷惑だなんて思いませんよ。あなたの心が元気を取り戻したら、今度はあなたが彼らを支えてあげればいいんです」
 その言葉は、頑なだったザギヴの心を少なからず溶かしたようだ。
「わかりました……少し、甘えてみることにします。でも、甘えるって、どうやればいいのかしら? 甘えかたがわからない……」
 真面目なザギヴの少し天然な悩みは、その場にいる者たちの頬を緩ませたのだった。



END

 タイトルが思い浮かばなかったのでジルの名BGMから拝借。