金色の風の軌跡
#1
世界の存亡をかけた戦いから数日。
甚大な被害を受けた大国ディンガルは、皇帝の座を降りたネメアに代わり、皇帝代理のザギヴと、ベルゼーヴァがその補佐につき、早くも復興の兆しを見せている。
いっぽう、ロストールもまた落ち着きを取り戻していた。戦争により疲弊した財政面や平民の貴族への不信感など問題は未だ山済みだが、新女王ティアナを補佐するため、一時的に再びリューガ家に戻ったレムオンはエストとともに新改革を進めている。女王の主導のもと推し進められている改革とは、ゆくゆくは貴族制度を廃止し、階級による格差をなくし共和制に移行しようというものであった。当然これをよしとしない貴族が大勢いるが、ディンガル軍との戦争、エリスの処刑、セルモノーの死――数々の波乱が数年のあいだに立て続けに起きたこともありだいぶ憔悴しているらしく、目立った反抗は見られない。
両国間に和平条約が締結され、情勢が安定し始めたころ、一人の娘がこのバイアシオン大陸を旅立とうとしていた。無限のソウルを持つ彼女はこの大陸を救った英雄であった。しかし――これは彼女とその仲間たちしか知らぬことだが――此度の戦いにおいて彼女は、世界を滅ぼしかねない破壊神の力をその身に宿してしまっていた。一度は打ち勝った破壊神の力は今は眠っている。しかしこの力が一生涯眠ったままだという保証はない。もしその力が暴走したとき、それを止められる者がいるとすれば、魔人の血を引くネメア以外にいないだろう。
ネメアがバイアシオン大陸を出ると言ったとき、ともに来るかと問われた。彼女は少し考えたあと――決めた。
1
「噂は聞いている。ずいぶん派手にやってるようだな」
久しぶりに訪れたリューガの屋敷、当主である『兄』は開口一番顰め面で出迎えてくれた。
「聞けばディンガルの朱雀将軍の副将として大いに活躍したそうじゃないか。驚いたぞ。いつの間にディンガル兵になったのだ? 我が軍も苦汁を飲まされた。まったく、我が妹ながら鼻が高いぞ!」
痛烈な皮肉である。今回ばかりは反論できる立場ではない。弁解するつもりもなかった。
結果だけ言えばアンギルダンのロストール侵攻は失敗に終わった。
冒険者に成り立てのころ知り合ったアンギルダンとはディンガルの酒場でよく顔を合わせた。経験豊富な老将の話は冒険者になりたてだった頃のアウラにとって貴重で有意義なものであった。そんな彼からの頼みで、アウラは彼の副将としてロストール侵攻に加わった。アウラがノーブル伯と認知する者は少なく――アウラが打ち明けるまでアンギルダンも知らなかった――ロストール兵ですらアウラの顔を見てもわからなかったのだ。最近頭角を顕してきた冒険者とノーブル伯をイコールで結びつける者は例外を除き、誰一人いなかった。
その例外はゼネテスだったのだが、まさか冒険者だと思っていた彼が実は貴族でファーロスの副将として参戦していようとは、アウラのほうが驚かされた。
そのときゼネテスは、叔母である王妃エリスには黙っておくと言っていたが、レムオンが既知ということは、やはり話してしまったのだろうか。だとしても、ゼネテスを責める権利はアウラにない。
「えーと……ごめん。レムオンの立場も考えずに……軽率だった」
「謝るくらいなら今後はもうすこし立場をわきまえて行動するんだな」
嫌味たっぷりなその口ぶりにかちんときたアウラは、舌の根も乾かぬうちに反論した。
「悪かったわよ。でもこっちだって好きであんたの妹やってんじゃないんですからね。それに、冒険者として旅することを許してくれたのはそっちでしょ?」
「そうだ。だがおまえがリューガ――引いてはロストールに仇なすようならば、その限りではない」
売り言葉に買い言葉だ。元来負けん気の強いアウラはつい反発してしまう。無言の睨み合いが続くが、しばらくしてレムオンの嘆息が沈黙を破った。
「まったく……わかっているのか? もうおまえと俺だけの問題ではないのだぞ? たしかに俺はおまえを利用したが、本来ならレジスタンスのおまえは処刑されていてもおかしくはなかったのだ。恩に着せるつもりはないが、俺たちは貸し借りなしの対等な関係で、秘密を共有する共犯者なのだ。そこのところをよく覚えておけ」
レムオンの言い分もわかるが、ボルボラの暴政も元はといえばこの男と王妃の政争が一端でもある。彼に助けられたのも事実だが、だからといって自分も貴族に名を連ね、政争に利用されるのかと思うと素直に従う気にはなれない。
だが一方で、冒険者としての自由を許されているのも事実だ。レムオンとしては、アウラに旅させることで見識を深めさせ、さらに周辺諸国の情勢を探らせる狙いもあるのだろうが。
ただ今回のことは、アウラの落ち度だろう。アンギルダンの頼みとはいえディンガルに加担したのは軽率と言われてもしかたない。
「わかったわよ……。ところで、あんたが知ってるってことはエリス王妃は?」
「安心しろ。エリスは知らん。知られていたらこうしてのんきに話などしていられん」
「そう……」
いまさらながら、ほっとする。
「だがゼネテスには借りができた。もう奴にはこれ以上借りを作るなよ。奴がエリスに告げ口しないのはなぜかはわからないが、効果的なところでカードを使うのかもしれんな」
「ゼネテスはそんな人じゃないわよ。……たぶん」
少なくともアウラには、彼が王宮の権力争いには関心がなさそうに見えた。
「楽観的な。貴様にはほとほと感心させられるな」
もちろん皮肉である。
「まぁいい。それで? 再三の呼び出しにも応じずどこをほっつき歩いていた。合わせる顔がないなどと殊勝にも思っていたわけではあるまい?」
それもある、が。
「しょうがなかったのよ。あのあといろいろあって……」
「ほう? 冒険者とやらはそんなに忙しいものなのか。そんなにも名声を上げたいか?」
ロストール侵攻後、アンギルダンから手紙が届き、すぐにエンシャント政庁へ向かった。そこで一悶着あったあと、アキュリースに赴き――今に至る。レムオンから顔を出すように手紙を受け取っていたが、どうしても火急を要するか否かで優先順位は低くなる。
「どうもおまえにはリューガの一員としての自覚が足りないらしい」
「だから、悪かったわよ」
「その謝罪が口だけにならないよう気をつけてもらいたいものだ」
まあいい、とレムオンは一拍おいた。この話はここで終わりのようだ。
「これからティアナに会いに行く。支度しろ」
「わたしも行くの?」
「あたりまえだ」
何を今さらという調子で断じられる。
支度のためレムオンは早々に政務室を出ていき、一人残されたアウラはとうに扉の向こうに消えた青年に向けて、べぇ、と舌をを出した。
「たまには一人で行けっての。意気地なし」
「レムオン様はアウラ様を心配なさってるんですよ」
レムオンの支度を待つあいだ、久しぶりにセバスチャンの入れてくれた紅茶を堪能する。高級茶葉の良い香りが心を和ませる。おいしいものを食べたり飲んだりするのは究極の癒し、心の栄養だ。
「わたしが今回みたいに、立場も考えずに勝手なことをすることを?」
そう聞けばセバスチャンは、いいえと穏やかに否定した。
「身を案じておられるのです。アウラ様が長いあいだこちらに顔をお見せにならないと、たまに愚痴を溢されては気を落とされておいででした」
気を落とした? あのレムオンが?
あくまでセバスチャンの見解なのだろうが、意外すぎてアウラは言葉も出ない。
(いやみを言う相手がいなくて張り合いがないってこと?)
「本来であれば妹君のアウラ様も社交界にご出席になるところですが、レムオン様はそういったことはさせたくないとおっしゃられたことがありましたね」
ノーブル伯になって間もないころ。貴族になるということは社交界やら貴族の行事に参加しなければならないのか、とアウラは訊いたことがある。するとレムオンは「おまえにそんなことは期待してないから安心しろ」と鼻で笑われたのを思い出した。今思い返してもむっとする。
「貴族社会というのは特殊な世界でございます。権謀術数渦巻く欲にまみれた人間の巣窟だとレムオン様も常々おっしゃられていました。レムオン様は社交界様をそのような場所からできるだけ遠ざけたかったのでございましょう」
「自分で引き入れたくせに?」
「だからこそ、でございます」
それにしてもずいぶんと貴族をボロクソに言ったものだ。そう言うレムオンも、率先して政権争いの渦中にいるというのに。
「根も葉もない噂が命取りになることもある世界です。失脚程度ならまだしも、レムオン様のお立場となると、お命にも直結しかねない」
「そうよね……レムオンの立場なら、命狙われたって不思議はないのよね」
貴族社会とは無縁の農民として生まれたアウラにとって、貴族や王族は別の世界のおとぎ話に等しかった。ノーブル伯となってからも冒険者を続けていたので、まともに考えたことすらなかったが、改めてセバスチャンから話を聞くと、急に現実感が伴ってきた。
「そりゃ、そんな世界に生きてれば捻くれ者になってもしょうがないわね」
セバスチャンはただ苦笑を返す。主人の悪口に頷くわけにもいかないのだろう。
「何しろレムオンときたら、一日に必ず一回以上はいやみか皮肉を言わなきゃ気が済まないんじゃないかってくらいだもの」
アウラの中のレムオンは、執務で忙しくしているか、暇なときはいやみや皮肉。でもそれらが本心なら、いつでもここへ訪れることを許しはしないだろう。レムオンもアウラを嫌っているわけでないことはわかる。
「アウラ様を案じていらっしゃるのは事実です。むろん、わたくし以下使用人の者もアウラ様やチャカ様の旅の無事を願っておりますゆえ、これからも私たちのためにお顔を見せにいらしてください。レムオン様もきっと喜ばれます」
そう言われると、今回の件と無沙汰を申し訳なく思うと同時に、こそばゆさを感じた。
「えっと……ごめんなさい」
「いえ」セバスチャンは笑み崩れた。
そこへ、支度を終えたレムオンがやってきた。
「何をしている。支度したのか?」
「いつでも準備万端よ」
癒しの時間は終了。アウラはカップをソーサーに戻し、立ち上がる。
「おまえも女なのだから少しは洒落た格好のひとつでもしたらどうだ? 似合わんだろうがな」
「レムオンこそ、男のくせに準備に時間かかりすぎじゃない? 女じゃあるまいし」
ついいつものように皮肉に皮肉で返してしまう。だけどこの応酬も最初の頃よりは嫌いじゃない。
(レムオンもそうだといいな……)
ひっそりとアウラは思う。
「レムオン」
王宮に向かう道中、アウラは思いきって口を開いた。
「何だ?」
「えっと……」
いざ言葉にするとなると緊張する。お互い素直じゃないなと思いつつ、このひねくれ兄様とうまくやっていくにはどちらかが譲歩するしかないと今さらながらアウラは思ったのだ。しかし、思うことは簡単でも実際に行動するとなると難しい。レムオンの怪訝そうな顔が徐々に苛立ちに変わりつつあるのを見て、アウラは叫ぶように言った。
「ごめん!」
「……何がだ?」
レムオンは大声に驚いたようだったがすぐに眉を顰める。
「だから――」
ディンガル側で戦ったこと。再三の呼び出しに応じなかったこと。いや、どれもそうだが、そうではなくて。
「心配……かけてごめん。いろいろ」
セバスチャンが嘘を言っているとは思ってないが、この人がどこまで仮の妹のことを心配してくれていたのか、まだ半信半疑だけれど。
「……レムオン?」
しばらく頭を下げていたが、何の反応もない。ようやくわかったか、と呆れたような反応が返ってくると思っていたのだが。
頭を上げたアウラは予想もしないものを見た。
レムオンは眉を顰めて目を逸らし、片手で口許を覆っている。
「べつにっ、心配など――」
そう言って顔を背けると、少しばつが悪そうに言った。
「……俺も悪かったな。少し、言い過ぎた」
そしてすぐに背を向けて早足で歩き出す。僅かに見えた顔はほんの少し赤かった。予想もしない反応だった。皮肉屋で捻くれ者の意気地なし。これだけだとまるで悪口だけど、エストやセバスチャンなど身内に対しての態度や、ティアナを想う気持ちから、冷徹な態度の裏で身内や心許した人に対しては情の厚い人なのだとは思っていた。
だけどわかっていたつもりでも、自分はまだこの人のことをまったくわかっていなかった。長い付き合いの仲間でさえまだまだ知らないことも多いのだ。意外な一面を知って驚くことや、印象が変わることはある。今がそう。
アウラは頬が熱くなった。