金色の風の軌跡

#8


 よもや、我が人の子に屈するとは……
 いいだろう、我が一部、無念だが汝のものとなろう。
 だが、ふふ……汝のなかに我のかけらが残るのだ。今は引き下がるが……汝の生ある限り、我はいつでも……



      8


 暗闇の底から光のなかへ、意識が引き上げられていく。
 見慣れない天井が目に入った。ここは……。
 身を起こして周囲を見渡すと、椅子に腰かけて寝ているレムオンの姿。
「レム、オン」
 掠れた声しか出なかったがレムオンには届いたらしい。はっ、と目を開き寝台に駆け寄った。
「アウラ……! アウラ、なのか!?」
「うん」
「よかった……!」
 安堵したようにレムオンが抱き締めてきた。

 その夜、なかなか寝つけずにいたアウラは、そっとひとり庭に出た。
 町の灯りも届かない森のなかの夜空は星の輝きがよく見える。
 明日の朝一番にオルファウスが転送装置でアウラたちをエンシャントまで送ってくれることになっている。だから明日に備えて早く就寝したほうがいいのだが、明日が決戦だと思うと頭が妙に冴えてしまってしばらく眠れそうにない。
 オルファウスの話では今のところエンシャントに主だった動きはないという。念のため、各地にいるエルフたちに周辺地域を見張ってもらっているそうだ。エンシャント以外の、遠く離れた場所であっても何か異変があればハイエルフの大長であるオルファウスに伝令が来るようになっているらしい。
 アウラたちが来るのを待ち構えているのだろう、とオルファウスは言う。
 エンシャントのソウルリープが始まったとき、アウラはベルゼーヴァの執務室を訪れていた。ベルゼーヴァとともに非難し、あわやソウルリープを免れたが、間に合わなかったらと思うとぞっとする。そうだったらウルグをこの身に宿すこともなかったかもしれないが、いまこうして仲間と過ごすこともできなかった。死ぬつもりは毛頭ないが、決戦前夜に仲間と過ごしたひとときを大事にしたい。
 ――感じる。自分のなかにいるウルグの存在を。
 もし何かがきっかけでこれが目覚めたら……。いや、今は明日のことだけ考えよう。闇の軍勢を倒し、ソウルリープされた人々を救わなければならない。
 ひとりでいると、暗く深い闇に思考が飲まれそうだ。
「アウラ」
 振り向くとレムオンが立っていた。
「ごめん、起こしちゃった?」
 そっと出てきたつもりだったのだけど。
「いや、別にいい……ちょうどよかったからな」
「……?」
「明日、すべてが終わったら……おまえに伝えたいことがある」
「明日? 今じゃダメなわけ?」
「あぁ……。返事がどうあれ今聞いてしまったら、明日存分に力を振るえるかわからないからな」
 ひとりごとのように呟くレムオンの言葉の真意が、アウラにはよくわからなかった。
「俺は臆病なんだ。だから自分の気持ちにも無意識に目を背けて気づけないでいた」
「レ、レムオン? どうしたの? なんか変なモノでも食べた?」
「どういう意味だそれは。そして何だ、その間抜けな顔は」
「間抜けで悪かったわね。あんたが急に欠点自覚して素直になるからどうしたかと思ったのよ」
「なっ……」
 というか今さらではないか。レムオンが臆病で皮肉屋でなければとっくにティアナに想いを伝えられていただろうに。
「最初からそれくらい素直だったらねー」
「悪かったな! 本当に――我ながら何でこんなじゃじゃ馬……きになったんだろうな」
「何ですって? じゃじゃ馬が何よ!」
「何でもない!」
 言い合いの最中に口ごもるなんてレムオンにしては珍しい。大方、嫌味か皮肉の悪口には違いないだろうけど。
「ていうか何、嫌味言いに来たわけ?」
「違う! とにかく……無事に生きて帰ったら、覚悟しておけ」
「はぁ?」
 覚悟しておけってなんだ。その言い方からしてお説教でもするつもりなのだろうか。それこそいまさらな気もするが。
 思えばリューガの屋敷に顔を出すたびに、レムオンには何かしら説教をされていた気がする。でもレムオンはもうエリエナイ公ではない。アウラもまた、彼の妹である必要はなくなったのだ。それを自覚したとたん、リューガ邸での日々を思い出し、寂しくなった。
 もうあそこへは、帰れないんだ――。
 そんな物哀しい気分を紛らわすように、アウラは口を開く。
「どうでもいいけどレムオン、『無事に生きて帰れたら~』とか、そういうこと言う人って演劇とか小説じゃ、死ぬパターンが多いわよ」
「余計なお世話だ!」
「冗談だってば」
 顔を真っ赤にして怒るレムオンを見て笑ってしまった。

      *
 まだ夜も開けきらない早朝、アウラたちはエンシャントへ向かうべく支度を始めた。いつものように装備を点検、確認する。おそらくはこれが、最初で最後のもっとも過酷な戦いとなる。この朝が、自分が迎える最後の朝かもしれないが、アウラの心に不安や恐怖はなかった。前日の夜は緊張でなかなか眠れず、たっぷりと睡眠をとることはできなかったが、頭ははっきりと冴えわたり、身体は緊張で高揚していた。
「おはようございます」
 居間に向かうと、オルファウスがテーブルで茶を飲んでいた。挨拶を返すと、オルファウスは立ち上がり「朝食はどうですか?」と薦めてきた。今日、世界が闇に堕ちるかもしれないというときに、オルファウスは驚くほど常と変わらない。
「あー、なんか食欲なくって」
 緊張と高揚で、食べ物が喉を通りそうにない。
「おや、それはいけませんね。身体が資本ですから、しっかり食べて体力をつけて、かぎりなく万全の状態で挑むにこしたことはありません」
 それはたしかにそのとおりだ。体調や気分が行動に影響を及ぼす。だがどんなに気をつけているつもりでも体調や気分はその日そのときでちがってくるもの。ならばせめて、体力だけでもつけておいたほうがいい。
 パンとスープを口に運んでいると、ほかの仲間たちも起き出してきた。
 全員が朝食を終えるころ、先に朝食を済ませ、姿を消していたオルファウスが居間に戻ってきた。
「オルファウスさん、そのかっこうは……」
「昔の服を引っ張り出してきました」そう言うオルファウスはいつものローブ姿から一転、防具を身につけた動きやすい服に身を包んでいた。初めて見るその姿は、オルファウスの言葉から察するにネメアたちと旅をしていたころの服なのだろう。魔法使いが着るには少々ものものしいが、ネメアほど頑丈な全身鎧ではなく、肩や胸、腕など要所を保護する、冒険者向きの出で立ちだ。
「わたしもお手伝いしますよ。こたびの戦いは厳しいものになるでしょうから」
 朝食を終え、オルファウスとともに転送装置のある間へ行くと、そこにはほかの仲間たち――総勢二十三人が集まっていた。さすがに部屋に入りきらないものは庭で待機している。
「勝手ながらあなたの仲間に収集してもらいました」とオルファウス。「ちなみに、カルラとベルゼーヴァはすでにエンシャントで軍の指揮に当たっているそうです」
「みんな、ありがとう」
 これまで旅をともにしてきた全員が集まってくれた。アウラは感極まる思いだった。
「生きて帰れる保証はないけど」それでも一緒に戦ってくれるかと訊ねるが、全員の心はすでに決まっていたようだ。
「なぁに、どこにいようと世界が闇に覆われるというのなら、最後まで足掻いてみせようぞ」とアンギルダン。隣に立つイオンズもうなずく。
「ここで引いてはイズキヤルの死が無駄になるからのう。これ以上あやつらの好きにはさせぬ」
「しかし、いまは被害はエンシャントだけにとどまっているようだが、闇の力の影響で各地の魔物が凶暴化している。ほかの町や村が襲われることはないだろうか?」
 ジリオンの疑問に答えたのはエルファスだった。
「当初は世界中の人々のソウルを集めて僕が神になる計画だった。各地で布教活動したのも人々の信仰心を得てソウルを集めやすくするためだった。だからそのときまで無闇にほかの町や村を襲わせるようなことは計画していなかったはず。もっとも僕が抜けて、その必要もなくなったから保証はできないが」
「そうですね、身も蓋もない言いかたですが、生きている人間からでなければソウルを集められませんかね」
「各地のエルフから情報を募っていますが、いまのところ魔物が人里を襲ったという報告はありません。ま、いざとなれば彼らに手伝ってもらいますよ。どちらにせよ、闇の力はエンシャントを中心に広がっていますから、そこにいる本陣を叩かないかぎり魔物も沈静化しません」
 大陸中の人々がソウルリープだなんて、シルヴァ村やエンシャントの比ではない。想像しただけでおそろしい事態だ。
「大丈夫ですよ」
 想像が顔に出ていたのか、オルファウスが安心させるようにアウラに言った。
「ここにいる精鋭たちとあなたの力があればじゅうぶん闇の力に対抗できます。自分や彼らの力を信じてください」
 あとはあの子が間に合ってくれれば言うことないんですけどね、とオルファウス。
 次元のはざまに落ちて以降、消息不明のネメアだが、オルファウスはネメアが戻ってくることを確信しているようだ。アウラもあのネメアが死ぬとは思っていない。
「さて、それではそろそろ参りましょうか。向こうも痺れを切らしているかもしれませんしね。最後に確認しますが、みなさん後悔はありませんか? これは強制ではありません。故郷や家族が心配な人もいるでしょうし、それぞれ事情もあるでしょう。やっぱり行かない、と言っても誰も責めませんよ」
「くどいぜオルファウスさん。みんなアウラについて行くって決めたからな。〝ヴァン〟場一致で全員参加だ!」
 ヴァンのいつもの寒い駄洒落が空気を和ませる。
 話がひと区切りついたところで、オルファウスが改めて口を開く。
「わかりました。ではまず四、五人で数組のパーティを組んでもらいます。エンシャントでは各パーティで行動してください。闇の巨人や魔物が蔓延っていると思いますので、それらの相手をお願いします。といってもそれらを生み出している元凶を叩かないかぎり無限に湧いてくるでしょうが、アウラのパーティが心置きなく元凶との戦いに集中してもらうためです」
 そこで言葉を切り、今度はアウラに向き直って言った。
「あなたと組みたがる人も多いでしょうが、ここは効率よく、それぞれの得意分野や相性を考えて、アウラ、あなたが決めてください」
 オルファウスのアドバイスに従ってパーティ編成をすませると、いよいよ転送装置で順番にエンシャントに向かうこととなった。
「全部終わったら、みんなで美味しいご飯食べに行こう!」
 アウラが仲間たちに呼びかける。それは緊張を解すためでもあり、みんなを鼓舞するためでもあり、何より必ず全員生きて戻るのだという決意表明でもあった。
「おう。ついでにうまい酒も追加な」ゼネテスがにっ、と口の端をあげる。
「構いませんけど、物語とかでは、こういうときにそういうセリフ言っちゃって死んじゃうパターン、よくありません?」
「ユーリス! せっかくアウラがみんなを鼓舞してくれてるのにそんなこと言わないでよ」ムッとした様子でエステルが嗜める。
「なぁに、いろいろあれど、みなここまで生き残ったからには、悪運強い証拠。殺しても死なんじゃろうて」アンギルダンが呵呵と笑い飛ばすと、その場の全員も思わず頬が緩み、緊張が解けた。

 アウラはザギヴ、オルファウスとパーティになり、先にエンシャントで指揮しているでカルラ、ベルゼーヴァと合流することにした。オルファウスが転送装置で全員を送り届けたあとに、最後にアウラとエンシャントに向かう。
「昨夜言ったこと、覚えてるな」
 他のパーティが各地へ次々と転送されていくなかで、レムオンがアウラに話しかけてきた。「ならば死ぬ気で戻ってこい」
「死ぬ気でって、あんたね……ま、いいや。そう言うあなたもね、レムオン。約束した張本人なんだから」
「あたりまえだ」
 いつもの調子で応じるレムオン。
 これが今生の別れになるかもしれないことを覚悟していないわけではないが、二人ともそのことは口にしなかった。必ず、生きて再会するために。