With you





 セバスチャンが寄越してきた手紙にレムオンは眉根を寄せた。
「火急の用件だそうです」
 レムオンを不審がらせたのはその送り主。次にその内容。手紙と言うよりはメモのような紙切れには簡素にこう書かれていた。
『おまえの妹が倒れた。すぐに来い』
 その下に宿の所在とサインがある。用件だけ走り書きされた文章はあの男らしく貴族らしさの欠片もない。サインも確かにあの男のもの。わざわざメモを寄越してきたのは当人が手を離せない状況にあるからか――すなわち、そばを離れられないほど義妹の容態が悪いのか。僅か数秒のうちに推量する。
「必ずレムオン様にお出でになってほしいと、使いの者が申しておりました」とセバスチャン。いかがなさいますか、と目が訊ねているがレムオンは気づいていた。セバスチャンはあの血の繋がりもない、政治利用されているだけの当主の゛妹″を心底心配している。事情を知っていながら、知らぬ他の貴族よりも彼女を、自分やエストと同じように貴族として扱っている。どことも知れぬ村の出の娘を。だがもしこの手紙が罠で、敵対する王族――ファーロスに与する者のなんらかの奸計によるものだとしたら。そうでなかったとしても、レムオンが自ら出向く必要はない。使いの者をやればいいだけの話だ。実際自分は暇ではない。弟エストが考古学者として自由にできる代わりに政務はすべて当主のレムオンが携わっている。加えて王妃エリスに隙を見せることのないよう常に神経を張っていなければならない。そもそも貴族が城下町に出向くことなど滅多にないのだ。ゼネテスやタルテュバなどは例外である。
 だから――そうだ、だから。自分がわざわざ出向くのは、これが罠ではないと判断したからだ。エリスならこんな手は使わないし、彼女の密偵である双子の片割れがこんな手紙を寄越すなどあからさますぎる。それにもし自分が出向かず、妹に何の愛情もなく政治利用するだけの駒でしかないと知れれば、はては実の妹ではないと発覚する恐れがある。
 だからこれはレムオン自身のためなのだ。あの娘の身を案じているわけではない。







「よぉ。呼んどいてなんだが、本当に来てくれるとはな」
 宿の一室に踏み入れば、政敵のくせに相変わらず気さくな男と――。
「――!」
 ベッドのうえで眠る義妹の姿。その額には汗が浮かび、苦悶の表情を浮かべている。叫びこそしなかったが、レムオンは思わず小さくその名を呼んでいた。
「本当に彼女が噂のノーブル伯だったんだな……タルテュバの取り巻きが口走らなきゃわからなかったよ」
 レムオンの眉が跳ねあがる。
「どういうことだ……説明しろ」
「言われなくてもするさ。そんなおっかない顔しなさんな」
 両手をあげて降参のポーズを取るゼネテス。こんなときにも、いやこんなときだからこそ、この男の軽々しい雰囲気が癇に障る。
「おまえも知ってると思うが、タルテュバのやつが度々スラムで町の人間に暴力を振るってるだろう。今日は戦闘用モンスターを持ち出してきてな。勇敢にもこの子が立ち向かっていったそうなんだが……駆け出しの冒険者にはちと相手が悪かったようでな。俺がもっと早く駆けつけてればよかったんだが」
「なぜここまで憔悴している?!」
 傷でも痛むのか、まさか化膿してしまっているのか魘されている少女。
「どうもそのモンスターが毒を持ってたようでな。気づいてすぐ吸い出したんだが」
 ゼネテスが毛布の端を捲る。包帯の巻かれた太腿が露になった。
「なにしろ戦闘用に改造されたモンスターの毒だからな、普通の毒とは違うみたいでね。毒物に詳しい叔母貴にも頼んじゃいるが……今は薬屋の解毒剤で間に合わせてる状態だ」
 レムオンは眉を吊り上げる。
「エリスに報せたのか?」
「心配するな。一応叔母貴には怪我人がノーブル伯ってことは伏せてある」
 政敵の妹と知ればエリスは手を貸さないか、あるいは大きな貸しにされるところだ。だがゼネテスも同じファーロス家の人間である。この男を信用していいのか。
「俺の妹と知ってなお、助けたのか」
「……なんだそりゃ。誰だから助けるとか助けないとか、俺ぁ嫌だね。……誰もがおまえさんみたいにいつも打算やはかりごとで生きてると思うなよ」
「知ったふうな口を聞くな。貴族のくせに宮中にいないおまえに何がわかる!」
 ううん、とベッドの上の少女が唸った。
 レムオンは思わず口を噤む。謝ったのはゼネテスだった。
「……すまん。俺が言い過ぎた。おまえだってこうして駆けつけてくれたんだからな。政治や保身のためなんかじゃない。妹のためだろ?」
 レムオンは口を開こうとしたが、何も返せなかった。
 政敵にあたる男に弱みを握られたようで不快だったが、妹を助けてくれた恩もあり、頭ごなしに非難はできない。
 レムオンも心の底ではわかっている。ゼネテスが今回の件を笠に、リューガ家を窮地に追い込むような人間ではないと。
 彼の性格や言動はレムオンにはいけすかなく思うところもあるが、レムオンが最も警戒しているのは彼自身よりもその背後にいる彼の叔母――王妃だ。
 今は素直に彼が妹を助けてくれたことを感謝するべきだろう。
「妹を助けていただき感謝する」
「――おいおい、今度はどうした」
 驚いた様子を見せるゼネテスに、レムオンはまたすこしむっとする。
「何だ、人が礼を言ったのがそんなにおかしいか」
「いや……まぁ、礼なんかいいと言いたいとこだが、おまえさんの礼の言葉は貴重だしな。ありがたく受け取っとくよ」
 茶化すように言ってウィンクするゼネテス。この男のこういうところが、レムオンは好きになれないのだ。素直に人の言葉を受け取ればいいものを。



「そんじゃま、兄上様も来てくれたことだし、俺は退散するよ」
 ゼネテスが腰をあげる。
「彼女、うわごとでずっと『お兄ちゃん』って言ってたぜ」
 すれ違いざま言われた言葉にレムオンは眉を潜めた。
「お兄ちゃん、とはね。ずいぶんかわいい呼ばれかたしてんだな」
 だからなんだ、呼ばれかたなどどうでもいいだろう。とすぐに返せばよかったが、とっさに言葉が出ず。肩を竦めて退室するゼネテスを睨みつけるしかなかった。
 お兄ちゃん、などと呼ばれたことは一度もない。人前や公の場でなら彼女は兄さんや兄様と呼ぶが、そもそも本当は血の繋がりなどかけらもないのだ。つまりレムオンのことではなく、彼女の本当の兄なのだろう。兄がいるなど知らなかった。レムオンは彼女のことをほぼ何も知らない。地図にも載らない小さい村の出だと言っていた。神官の娘だとも聞いているが、なにか事情があるのか、彼女はあまり多くを語らなかった。だからレムオンもあえて聞かなかったし、興味もなかった。しょせん成り行きで妹にでっちあげ、体よく政治利用しようとしているに過ぎず、そこに家族の情など存在しない。
「おにぃ……ちゃ」
 頼りなげな掠れ声に、はっと我に帰る。少女の手がわずかに持ち上がって、宙をさまよっていた。ここにはいない兄を探すかのように。
「……」
 レムオンはしばらく無言で見つめていた。やがて力なくその手がシーツのうえに落ちる。兄がいないとわかったのだろうか。すこしほっとするレムオンだが、しばらくしてまた手があがり、宙を彷徨う。
 おまえの求める兄はここにはいない。俺はおまえの本当の兄ではない――そう教えてやったとて、熱に浮かされた頭では理解できないだろう。
 うわごとでずっと『お兄ちゃん』って呼んでたぜ――ゼネテスの言葉を思い出す。
 しかたない。どうせ眠っているのだ。認識できまい。今だけ。このときだけならば。
 虚空を掻いていた手をつかまえてシーツの上へおろすと握ってやった。すると感覚でわかるのか、少女の顔が幾分か和らぐ。
 心なしか、苦しげな呼吸もおさまったようだ。まだまだこどもだなと呆れつつ、熱ならばそれもしかたないかと納得する。
「俺は……おまえの兄には、なれん」
 聞こえてやしないだろうが。その響きはまるで自分に言い聞かせるかのようだったが、レムオンは気づかなかった。







     * * *







「痕になってしまったな」
 少女と呼べる年齢を経てもあどけなさ残る彼女――今は生涯守り抜くと誓った大事な存在の、足に残る傷痕を見て、レムオンは思い出していた。
 大きくはないが小さくもない、うっすらと残る痕は白い肌の上でいっそう目についた。スカートの裾にかかるおかげで、注意して見なければわからないが。それでも男ならともかく女にとって一生残る傷痕はないほうがいいだろう。あのとき感じた思いまでもが思い起こされ、レムオンは複雑だった。もっともあのときはあのとき。今はかけがえのない存在だと自覚している。
「別にこんなの」
 平気だと笑う彼女。冒険者をしていれば女でも傷などできて当然だと。
「おまえはいいかもしれないが、俺は嫌だ」
 大事な存在が傷つくなど。
「危険なことはするな。おまえには傷ひとつつけさせやしない。おまえを傷つけるいっさいのものを排除しよう」
「レムオン……」
 彼女はかぶりを振った。そんなことはしなくていいと。
「なぜだ」
「レムオンが傷つく」
「俺は平気だ。傷痕が残ろうと、男だからな」
「違う、そうじゃない」
 何度も彼女は頭を振るう。傷つくのは目に見えているところだけではないと。心だって傷つくものなのだと彼女は言う。ダルケニスであるがゆえに闇に生き、闇でしか生きられないとするレムオンを案じているのだ。だが己は陽のあたる世界には帰れまい。いかに彼女や彼女の仲間たちが偏見もなく分け隔てなく接してくれようと、世間の偏見の目は冷たい。
「悪かった。そんな顔をさせたかったわけではない……おまえには悲しい顔ばかり、させてしまうな。俺はやはり……」
 自分のせいで悲しませるのならやはり彼女は自分と共にいるべきではないのだろうか。何度も繰り返されてきた自問。
 そんな心中を悟ってか、彼女は怒ったように胸に頭突きをしてきた。そして優しく抱き締められる。
「すまない、馬鹿なことを言った」
 彼女は顔をあげ、頷く。
「それにしても……あのときは本当におまえが無事でよかった。あのとき、なかなか熱が下がらずどうしたものかと思ったものだが。高熱による後遺症も残らなかったしな。そういえばあのとき……」
 当時から心に引っ掛かっていたことがあった。だがあれからいろいろなことがあり、結局忘れてしまっていたこと。
「ゼネテスは毒を吸い出したと言っていたが、どうやって吸い出したんだ?」
 ぴたりと彼女の動きが止まる。石像のように硬直したまま、その顔が見る間に朱に染まっていく。なるほど、よくわかった。
「あの男……やはり斬り捨てるべきだったか」
 ロストール戦役直後に起こしたクーデター。あのとき彼女が闖入してこようが、千年樹の誓約だろうが問答無用でさっさとゼネテスを処刑してしまえばよかったかと半ば本気で考える。
 あれは応急処置だからと必死に説明する想い人を見て、嫉妬が首を擡げる。
「あの男のために、そこまでかばうのか」
 彼女は一瞬呆けた顔をする。
「……もしかして、妬いてる?」
「なっ――誰が」
 否定しかけて、やめた。
 ずっと共にいるのだ。今さら隠したところで彼女にはお見通しなのだから。
「あぁそうだ。おまえに触れたあの男に、嫉妬している。あの男のためにそうまで必死にかばおうとするおまえを見ていると、余計に……」
「ゼネテスは友達だよ」
「あぁ、わかっている」
 ティアナに懸想していたころは決して実らぬ恋と知りながら、ただただこの身が裂かれるような心地だった。だが今腕のなかに在る彼女への想いを自覚したとき、それだけではない、温かいものが胸に広がった。これが愛なのだとレムオンは知った。それからはもうレムオンにとって失えない存在となった。
 腕のなかの存在をレムオンは気のすむまで抱き締め続けた。



END

[maroyaka_webclap id=638 text= Clap btn_color=default]

「地図にもない村」女主人公でノーブル伯。
『ハンナの人形探し』イベントをかなり捏造。
 序盤のイベントなのでこのときはお互いまだ親しくない状態。
 ちなみに、女主人公はこのときは熱に浮かさていて心細くなっていたため、一時的に幼児返りしていた。お兄ちゃんと呼んでるがそれは昔の呼び方で今は兄さん呼び。