そのさきの未来へ

#1


 人が大勢集まる場所にレムオンは積極的に赴くことはしない。彼女もそれを心得ているのか、冒険者ギルドの依頼はたいてい彼女が一人で取ってくる。レムオンも依頼を請け負うことはあるが、そういう場合はギルドで掲示されているではなく、酒場などで個人的に依頼されるものだ。そういったもののなかには、おおよそ冒険者向きではなく公には依頼できないものもある。
「あんた、冒険者か」
 業物を帯剣していれば、冒険者を探している依頼人にはすぐに知れる。話しかけてきた男は返事を待たずにレムオンの隣のカウンター席に座った。
「ダークエルフを殺ってほしい」
 薄暗い照明のなか、相手の表情はほとんど窺い知れない。それは向こうも同じだろう。たとえば銀か金かの色の区別もつきはしない。
「それは狩れ、ということか?」
「いや、一人殺ってくれればいいんだ」
 復讐か、とレムオンは悟る。
「俺の知り合いの冒険者が何人も殺されてる。放っておけば被害は大きくなる。あいにく俺は顔も名前も知らないんだが。わかっていることと言えば、そいつは女で、弓使いってことぐらいだ」
 エルフはたいてい弓を扱うし、ダークエルフも数こそ多くないとはいえそれだけの情報ではさすがに頼りない。だがダークエルフの弓使いと聞いてふと、共に旅をする彼女のかつての仲間に、そんな女がいたことを思い出した。レムオンは詳しく知らないが、そのダークエルフも色々事情があったらしい。
「オズワルドって村を知ってるかい? 今は廃村になってるがそこを根城にしてるって話だ」
「……悪いが他をあたれ」
「なんだい、ここまで聞いといて無理ってか」
「おまえが勝手に話したんだろう」
 レムオンは代金をカウンターに置いて席を立つ。
「あんた、多くの賊や冒険者を屠ってきたんだろう? ダルケニスの冒険者さんよ」
 ざわり、と周囲の空気が波立った。男の声は騒がしい店内で決して大きくはなかったが、聞こえた者もいたようだ。近くでひそひそと声が上がり、視線が集中する。席を離れる者、店外へ逃げる者。カウンターにいた店主まで奥に引っ込んでしまった。出ていけと言われないだけマシだろうか。どちらにしろ出ていくつもりだったが。
「とんだ言いがかりだな。俺には人を殺して回る趣味などない」
「そうかい。だが最近ダルケニスに精気を吸われて死んだ賊が多いって噂だぜ」
 男が立ち上がる。それを合図に店内に残っていた男たちが次々と立ち上がった。各々ナイフや剣、斧など武器を持っている。嵌められたようだ。先のダークエルフの話も作り話だろう。レムオンが承諾していたらオズワルドが闘争の場になっていたのだろう。それにしても手の込んだことである。
「悪く思うなよ。俺たちゃ雇われただけなんだ。あんたに壊滅させられた山賊の生き残りにな。どっちにしろダルケニスなんて絶滅したほうが世のためだしな」
 勝手な言い分を振りかざし、私刑を正当化する男たち。
 復讐を人任せにするのはどうかと思うが、その当人にもこの男たちにもレムオンは何の感慨も湧かない。ダークエルフやダルケニスだというだけで迫害され、抹殺対象になる世界だ。
 確かにレムオンは血塗られた道を歩んできた。貴族であったころ自分を陥れようとする政敵を始末したこともある。冒険者になってからは自分に向けられた刃は折ってきた。男の言う噂になるようなことをしたつもりはない。でっちあげか、誇張して言っているのだろう。種族自体希少となったせいもあり、昔のようなダルケニス狩りは減ったがダルケニスを忌み嫌う人間は大勢いる。要は口実さえあればいいのだ。
 この男たちとて裏社会に生きる人間。レムオンと同じようにその手を血に染めてきただろうに、それがダルケニスだというだけで抹殺を正当化できる。彼らにとっては恐ろしげな魔物を討伐するのと同じ感覚なのかもしれない。
 くだらぬ人間。愚かで醜い。
「この俺のように……」
「なんだぁ?」
 自嘲めいた呟きに男たちのなかの一人が反応する。
「辞世の句でも読んでんのか?」
「おい、早くやっちまおうぜ。気味が悪い」
「なんだよビビってんのか? これだけの人数で負けるわけ――」
 男はそれ以上言葉を発することはなかった。ぽかんと口を開け目を驚愕に見開いたまま、地に沈む。
 暗く深い闇の底。地獄まで堕ちたとしてもあの少女はついてきてくれるだろう。彼女さえいてくれるならば。他にはなにもいらない。
 視界が赤い。生々しい赤――生命の味。昔は嫌いだった。恐れていた。忌むべきものでしかなかった。
 頬骨に衝撃が走った。気がつくと身体が吹っ飛んでいた。やおら起きあがると、いきなり殴りつけてきた相手を睨む。
「何をする! というよりなぜ貴様がここに」
「なに、気分よく一杯やろうと入った酒場で酒が不味くなりそうなことしてるやつがいたもんでね。どうだ、酔いは覚めたか?」
 相変わらずの冗談めかした物言いがレムオンの感情をいっそう逆撫でする。
「貴様には関係ない。飲むならよそへ行くんだな」
 レムオンは背を向ける。しかし背後の男は一向に立ち去る気配はない。痺れを切らしたレムオンはさっさと立ち去ろうとしたとき、突然肩に腕を回され、無理矢理店のそとへ引きずり出される。
「何をする!」
「せっかくの再会だ。飲み直そうぜ」
「ふざけるな、一人で勝手に飲めばいいだろう!」
 男が立ち止まる。
「おまえ、いつもあんなことしてんのか?」
 あんなこと、とは具体的に何を指しているのか。
「向こうから仕掛けてきたんだ。何が悪い」
「だからって挑発に乗ってやり返したらあいつらの思う壺だ。おまえさんも馬鹿じゃない、それくらいわかるだろ? 俺にはおまえさんが卑屈になってるように見えるんだがね」
「おまえに何がわかる! ダルケニスの俺がどう行動しようが、ああいう連中には関係ないんだ! やつらの俺を見る目は変わらん。どうせ俺の気持ちなど――」
「わかってくれるのはあいつだけ、か?」
 レムオンは無言で男――ゼネテスを睨めつける。
「確かに、俺にはおまえさんが今までどれほど苦しんできたのかはわからんよ。卑屈になるなというほうが難しいかもな。おまえさんの苦しみはおまえさんにしかわからないことだ」
 まだ幼かった時分、ダルケニスとしての本能に目覚めたとき、わけもわからず戸惑った。他者との違いを否応なしに自覚させられ、その苦しみを誰に打ち明けることもできず常に孤独がつきまとった過去。たとえどんなに他者に理解を求めても己の苦しみを真に理解できるのは己のみ。
「だがなレムオン。おまえ、あいつの気持ち考えたことあるか?」
「何だと」
 突然何を言い出すのか。彼女のことは自分のほうがこの男より遥かに理解している。共にいた時間はとうに自分のほうが長いのだ。
「あいつは今のおまえといて幸せなのかと思ってね。いや、あいつは誰よりおまえといることを望むだろうよ。でもおまえさんがそういじけてちゃ、あいつだっておもしろくない。おまえさん――最近笑ってるか?」
「――は?」
 レムオンは思わず呆気にとられる。問われた意味がすぐにはわからなかった。それほどに唐突だった。
「実はな、今日の昼間あいつに会ったんだよ」
 初耳だ。彼女からは何も聞いていない。なぜこの男と会ったことを言わなかったのか。彼女にとってはかつての仲間に会うことなど、話すまでもない些末事なのか。それとも隠したい何かがあるのか。
 胸のうちをもやもやと昏い感情が侵食する。
「あいつ言ってたよ。おまえさんの笑った顔、最近見てないって。自分じゃおまえさんのそばにいても、何の力にもなれてないんじゃないかって」
「そんなことは!」
 断じてない。彼女の存在こそがレムオンにとっての唯一だ。
「俺には何も言わなかった。おまえには……打ち明けるのだな」
 拳が飛んできた。予想もしていなかったレムオンは、今度も交わせずに地に転がる。
「まだ酔いが醒めてねぇようだな、レムオン。おまえがそんなだから、あいつだって俺に相談したんだろうよ。おっと、勘違いするなよ。彼女に会ったのは偶然だ」
 理屈はわかるが感情はそれでも納得しない。
「……俺は、あいつがいてくれるだけでいい。他には何も」
「俺は、好きなやつには笑っててほしいと思うね。おまえさんは違うのか?」
「……」
「レムオン、誰かと寄り添うことを決めたなら相手の気持ちも尊重しないといかんぜ。どうせダルケニスだから、とか、そんないじけてたらよ、楽しくないだろお互い」
 そう問われ、彼女の笑顔を思い出す。彼女は俺のまえでは笑っていることが多かった。だがレムオンが自棄になっていたりと精神的に不安定なとき、まるで自分も苦しんでいるかのように悲しい表情になる。自分はおそらく甘えていたのだ、彼女に。己の気持ちに捉われてばかりで彼女の思いを蔑ろにしてはいなかったか。
「ふん……さすがはロストールの遊び人と言われるだけのことはある」
「お、いつもの皮肉が出たな。恋愛初心者の元貴族様は聞いといて損はないと思うぞ」
 悔しいがレムオンは確かに恋愛に関して初心者だ。エリエナイ公であったときから女性遍歴は潔癖であったし、社交的な性格でもない。政敵と腹の探り合いを繰り広げ、相手の意図や出方を推し量るばかりの公爵時代。ティアナに懸想していたこともあったが恋愛はしたことがなかった。己の気持ちにばかり焦点がいき、周囲には盲目だったかもしれない。
「あ、そうそう。聞いたぜ。おまえさん、あのこと根に持ってたらしいな」
 なんのことだと目で問えば、ゼネテスは下世話な笑いを浮かべる。
「彼女がタルテュバの魔物の毒にやられて、俺がそれを吸い出したことだ。男の嫉妬は嫌われるぜ? おっと!」
 ゼネテスが慌てて飛び退る。その後を間髪入れずに白刃が閃いた。
「ちっ、避けるな」
「いやいや避けるだろ! 殺す気かよ」
「そのつもりでやったんだが?」
「はー、可愛くないねぇ」
「可愛げがあってたまるか」
 悪態をつきながらもレムオンは剣を収める。
「ま、うまくやれよ。もしおまえさんがあいつを泣かすようなことがあったら、そんときは――力ずくでも奪うからな」
 冗談のような軽い口調だが、男の目は雄弁に物語っていた。その言が嘘ではないことを。
 レムオンは男を正面から睨み据えた。
「残念だが、そんな日は永遠に来ない」
 あえて口にするまでもないことだったが、改めて誓いを立てるように言い放った。