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　主不在のエンシャントがソウルリープにより廃都と化し、世界に闇の軍勢が迫るなか、一条の光明が差した。　闇の門の島――次元のはざまに通じているとされるその島にネメアを救出すべく向かったアウラたち。そこに待ち構えていたのは予想もしない事態だった。
「やぁ、ようやく来たね」
　虚無の子どもはくすくすと笑う。
「シャリ！？　どうしてここに？」
「君たちと同じさ。ネメアを助けに来たんだよ」
　白々しい。
「でも、もういらなくなっちゃった。もっといい器が来てくれたからね」
「何を言っている？」
　シャリはネメアを依り代に破壊神ウルグを復活させようとしていた。強大なウルグを憑依させるには、強靭な器が必要。そのために、シャリと目的を同じくするシスティーナの伝道師ジュサプブロスがネメアを次元のはざまへ落としたのだ。
「ずいぶん力をつけたんだねぇ。おかげでネメアである必要はなくなっちゃったんだよ。ウルグがね、ネメアより君がいいってさ、アウラ」
「……何だと？」
　シャリの言葉に全員が吃驚する。瞬時に体勢を構えるが、無意味だった。闇の神器の力により、アウラは身体の自由を奪われた。
「貴様！　アウラを離せ！」
「ふふ……『アウラ』、ねぇ。彼女が目を覚ましたとき、そんな人間はもうこの世にはいないよ」
　アウラの意識は深い闇へと堕ちていった
　　　　




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　軽いノックのあと、ゼネテスが部屋に入ってきた。振り向きもしないレムオンに溜め息をこぼすと、言った。
「おまえさんも少し休んだらどうだ？」
　猫屋敷の一室。ベットと小さな家具だけがある簡素な部屋で、アウラは眠っていた。レムオンはベット脇の椅子に腰掛け、眠るアウラを見つめている。
　闇の神器のひとつ、『魂吸いの指輪』の力でアウラの身体からソウルを吸収し、ウルグを降臨させようとしたシャリだが、それは失敗に終わった。オルファウスが指輪に自身のソウルを吸わせ、潜んでいたのだ。アウラのソウルが吸収されるのを妨害することはできたものの、彼女の精神世界ではいま、アウラの精神とウルグの精神がせめぎあっている。アウラの精神が勝てば彼女は助かる。だがウルグの精神が勝てば、アウラの身体はウルグに乗っ取られてしまう。
　結局ネメアの所在はわからないまま、アウラも未だ目覚めない。これでもし破壊神が復活すれば、世界のすべては死に絶えるだろう。
　だがいまレムオンの頭には、世界がどうこうよりもアウラのことしかなかった。
「ずっとそうしてるつもりか？　おまえのほうが参っちまうぞ」
「……俺は、何もできなかった。守ると、言ったのに」
「あの状況じゃ、誰にもどうにもできなかったさ。おまえさんのせいじゃないだろう」
「……」
「とにかく休めって。な？」
「……もし、目覚めたときアウラでなかったとしたら、おまえはどうする？　俺はそのとき……アウラを殺せる自信はない」
「……あいつを信じてやれよ。おまえが信じなくてどうする？」
「おまえは、平気なのか？　アウラを……失うかもしれないのに」
「平気なもんか。だがこいつは簡単にやられるようなタマじゃない。だろ？」
　少しの沈黙のあと、レムオンはぽつりと言った。
「おまえは……いつでも余裕だな。俺はそんなおまえが羨ましくて、たまらなく憎らしかった」
「そう見せているだけだ。弱さを晒すのが怖いのさ」
　そう言うゼネテスだが、強がっているようにも見えない。それもまた、ゼネテスという男のたいしたところだ。感心すると同時に妬ましくもある。シャリの言うとおりだ。自身の生、人種、階級、あらゆるしがらみに縛られてきたレムオンと違い、貴族であることに縛られず自由に生きるゼネテスにずっと憧れていたのだ。
「じゃあな、おまえも休めよ。ひどい顔だぞ。アウラが目を覚ましたときおまえがそんなんじゃ心配しちまう」
「ゼネテス」
　退室しようとしたゼネテスが、ん？　と振り返る。
「すまない……感謝する」
　数秒の沈黙。
「おまえさんが素直になるなんてなぁ……アウラの影響か？」
「うるさい」
　照れるレムオンに笑いながらゼネテスは退室した。
「アウラ……」
　静けさが戻った部屋で、レムオンはアウラの手を握る。
「思い出したのだ……おまえは二度、こうして俺の手を握ってくれていたんだな」
　一度目は新月の香によってダルケニスの正体を暴かれた夜。気を失った自分の手を、彼女はずっと握っていてくれた。目覚めた後は気が動転し、彼女を追い出してしまったが。二度目はクーデターを謀ったとき、我を失いアウラを襲ってしまったとき。
　ダルケニスは他者から精気を吸い取るとき、その者の記憶や感情をも感じ取る。アウラの血を吸ったとき流れ込んだ感情。あのときはダルケニスの本能に支配されて意識が曖昧だったが、思い出したのだ。初めに感じたのは驚愕、戸惑いや恐怖――当然だ。どんなに肝の座った者でもいきなり血を吸われれば、恐怖を感じないはずがない。しかしそれらの感情を凌駕するほどの深い慈しみ、レムオンを失いたくないという強い思いが、レムオンのなかに流れ込んできたのだ。
「アウラ、おまえを愛している」
　だから、戻ってきてくれ。俺も、おまえを失いたくはないのだ。




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　ゼネテスがアウラの眠る部屋を出ると、居間ではザギヴが祈りを捧げていた。
　ディンガルの四将軍の一人、玄武将軍である彼女にも複雑な事情がある。幼少の頃暗殺されかけたとき、魔人を封じられたのだという。その封印が弱くなっているらしく、魔人の力を抑えるために、この屋敷に厄介になっているらしい。たしかにこの屋敷には不思議な空気が漂っているのを感じる。外界とは違う清浄で聖なるパワーとでも言うべきか。オルファウスもエルフの大長だけあってその力は相当な者だろう。
　だが最終的に魔人に打ち勝つのはザギヴ自身の心の強さだとオルファウスは言う。
　ゼネテスらが闇の門の島から帰ってきたとき、事情を知ったザギヴはひどく動揺し、目覚める気配のないアウラに気が気でない状態だった。それを見かねたオルファウスがアウラのために祈ってみては、と提案して以降、彼女は暇さえあれば一心に祈り続けている。祈りという行為は祈る者の精神を安定させる作用もある。オルファウスはそれを見越して提案したのだろう。祈ることで何か変わることを期待しているのではなく、ザギヴのために。
　みんながアウラの帰りを待っている。
だから早く帰って来いよ、とゼネテスは心のなかでつぶやく。
「やめろって言ってるだろ、このガキ！」
　外の空気を吸いにゼネテスが庭に出ると、話し声が聞こえてきた。
「なんだよ。気持ちよさそうにしてたじゃんか」
　チャカの声だ。彼の様子は一見していつもと変わりないように見える。
　チャカは仰向けに寝転ぶ猫の首をわしゃわしゃと撫でていた。
　妙な紋様のあるこの猫には魔人が封じられていると聞いたが、今は魔人としての力はなく無害らしい。変な紋様と人語を操ること以外は、ただの猫である。
「くすぐったいんだよ。ったく、どいつもこいつも俺様を猫扱いしやがって」
　悪態をつく猫を抱き上げ、チャカはじっと見つめた。
「おまえも魔人、なんだってな。なんなんだよ魔人って。破壊神って。なんでそんなもんが姉ちゃんに乗り移るんだよ。どうしてだよ……どうして姉ちゃんがこんな目に」
　それは理不尽に対する憤りだった。
　理屈ではない。正当な嘆きと怒りだ。人は突然の不運や不幸に見舞われる。善人も悪人も関係ない。悪人なら自業自得と思えるだろう。だがどんな人間だろうと悲しむ者がいる限り、その不運や不幸は嘲笑っていいものじゃない。それをわかっているからか、猫はケッと吐き捨てたあと何も言わずに黙りこむ。
「よう」
「……ゼネテスさん」
「俺も、ちょっくら休むわ」
　うなだれるチャカの横にゼネテスは腰を降ろした。
　しばらくしてチャカは顔をあげると、ぽつぽつと話し始めた。
「父さんが死んでから、俺と姉ちゃん、二人で生きてきたんだ。家のことは姉ちゃんが女手ひとつでやってくれてた。俺は畑くらいしか手伝えなかったけど。姉ちゃんがいたから俺、今ここにいるんだ。でなきゃあのときボルボラに殺されてたかもしれない。姉ちゃんがいなくなったら、俺……一人になっちまう」
「……母親はどうしたんだ？」
「母さんは俺を産んですぐに死んだって。だから母さんの顔は覚えてないんだ。でも姉ちゃんは母さん似だって、父さんが言ってた」
「そうか。んじゃ、おまえさんたちの母さんはいい女だったんだな」
「えぇ？　そーかなぁ。でもホラ！　姉ちゃん、ガサツで暴力的で怒るとこえーし。黙ってりゃー少しはマシなんだけどなぁ」
　口ではそんなことを言いつつ、チャカは姉が誉められたことがまんざらでもないようだった。
「でも、たまにだけど、母さんってこんな感じなのかなって思うときがあったなぁ」
　今は遠い日々を懐かしむようにチャカは目を細める。猫の毛並みを撫でていた手が微かに震えだした。それに反応してぴくり、と猫が顔をあげる。
「姉ちゃん……姉ちゃんっ」
　背を丸め、チャカは嗚咽を押し殺していた。
「大丈夫だ。きっとあいつは帰ってくる」
　チャカの頭を撫でながら、ゼネテスが言う。まるで宥めるように、猫もチャカの指先を舐めていた。